日本人初の火筆画家
吉良さんが火筆と出会ったのは99年。中国・上海市のホテルのロビーで火筆名人の羅成驤さんの実演をたまたま見かけた。
目の前で、木の焦げるいい香りとともにあっという間にできあがったパンダや絵に目を見張った。
自分も画家であることを伝えて、持っていた作品を見せると、「弟子になってみないか」と誘われた。
それから2年後と3年後に羅氏の来日が叶い、数カ月間の特訓を受け、習得を認められ自身の火筆を作って戴いた。
「樹と対話しながら描きます。頭で描いたらとんでもないことになる(笑)心で描くことがとても大事。描きなおしが効かない一発勝負なので、火筆を入れる時は、毎回心頭を滅却します(笑)修行みたいですよね。
しかも、お客様とお話しながら筆をすすめることも、師匠の教えでした。」と吉良さん。
墨絵のようなタッチで描く火筆は、モノトーンのパンダを描くのにぴったりの画法だった。
こてが木板に触れるとじゅうっと音をたて、焦げたにおいが広がる。
「この焼き芋を焼くときのようなにおいが好きなんです」樹の種類によって香りはさまざまで、五感で楽しめる感覚的な技法だという。
吉良さんは、子どものころから動物保護活動に興味があった。
18歳の時に臨死体験をする。
その際に、自分も光の一部となってたくさんの光(命)の輪の中に入ろうとしていた。
光はどれも尊い命で、人間も動物も一緒だったように感じたと吉良さんは言う。
その時の体験は、吉良さんの暖かい色の表現にもつながっている。
また、初個展を開いた1999年に毎日新聞紙上でパンダの里親制度を知り、里親制度を作ったという日本人の旅行ジャーナリスト・生内玲子さんに連絡を取り、中国・臥龍市の保護研究施設を訪れた。
手続きを済ませ、生まれて2か月の女の子のパンダと対面。
「イエイエ(曄*曄)」(キラキラ輝いているの意味)と名づけ、以来ずっと里親として養育費を送り続けている。
「今では8頭の曄*曄の子供のおばあちゃんです。」と笑う。
パンダをはじめとする動物保護の気持ちを込めた個展では、火筆のほかに日本画や水彩画など描く手法は色々。
近年パンダブームで、パンダが大好きな人が多くなったが、絶滅危惧種だとまで知ってる方は実はわずか。「『かわいい』と思うだけでなく、絶滅の恐れがあることその背景にある人間とのかかわりも広く知ってもらえるように絵をとおしてがんばりたいです」と吉良さん。
パンダと接していると学ぶことが多い、という。
「平和が好きでいつも微笑んでいるみたい」
パンダのココロになれるよう日々、精進中である。
(過去のインタビューより一部抜粋)
火筆画家 羅成驤氏について
上海在住
出身地: 甘肅省・蘭州市 1940年生まれ
○独自で生み出した焼ごてを駆使して木や絹までも焦がして素晴らしい絵画を創り出し、世界名人となる。
弟子に羅鋭氏・吉良星春
画 歴:
●30歳の頃、毛筆画から鉄筆に転向、同時に専用の”火筆”を開発、特許取得
●1990年広州公安局招待所にて画家活動中、広州花園酒店商場経理の誘いで当花園酒店(LeeGardenHotel ‘5Star’)の大ロビー内商店前にて定番画家として1994年迄活動
火筆美術は、中国に於いても数少ない芸術の一つです。
中国伝統工芸なのは、バーニングアートの「烙画」という技法で、2000年の歴史があります。
「火筆」は新鋭のテクニックで、特許取得の画具により、 見るものを引きつける豊かな表現力とその画法です。
この画法は、元々中国画にある《烙画》に端を発するもので、焼き鏝(電気ゴテ)を用いて 木版を焼きながら絵に仕上げる、西洋美術にも導入されている《バーニング・アート画法》を 元に、羅成驤画伯が独自に開発した鉄筆を用いて描く新しい芸術画法です。
《鉄筆》を用いていながら、恰も毛筆画の如く描き出されるその様子から、1984年、中 国浙江省美術学院院長、陸儼少教授によって命名されました。
教授は、『火と鉄によって毛筆 のタッチが醸し出されるこの画法は、従来の烙画には無かった線の変化や、色彩感が多分にあ る。将に中国新芸術の極意』と絶賛され、この時『火筆画』の称号が与えられました。